SHINICHI SHIMOKAWA
1980年に渡米。ステュワートをプロデューサーに迎えたテクノポップ・プロジェクト"メガロマニア"のプログラミング、キーボード、ベースを担当しトラックを制作する。
DCCが最初のジャムセッションを行ったピラミッドクラブでのライブでは、
『This is Riphop』アルバムで聴かれるようなマイケルのギターにサウンドFXユニット(ディレイマシーン)を使用したライブミックスを披露する。DCC最初のレコーディングではベースを担当。1984年に
ベガーズ・バンクエットよりリリースされた
12インチEP『アット・ザ・マーブルバー』にてそれを聴く事が出来る。ストリートクラシックである
「エクステリア・ストリート」は、
『Anti NY』 (独Gomma 2000年)およびリチャード・センズ (UKブロンクス・ドッグス2002年) のBボーイクラシックスコンピレーション『パワーカット』でも聴く事ができる。後にシモカワは、サイドギターも担当しその後の
DCCの作品である「サドネイション」 、「ブラック・アトランティック」とエレクトラからリリ−スしたDCCセカンド12インチEP「ミスティック・アイズ 」「デスコメット・ドライブ」にて彼のプレイを聴く事ができる。また
マイケルと共に1987〜1991年の間、スリーパウンド・ユニバース と プロペラ、ステュワート、マイケルと共にロバート・ロンゴのサウンドトラック制作、 CD ROMの『インナー・ウエアー』、『デジタル指圧』等のプロジェクトに参加。1998年、東京に戻り日本国内とタイで行われたマルチミディアイベント、ネオテリックのオルガナイザーとして活動する。ダブバッドレコードから限定リリースされたニューエイジ・ステッパーズのリミックスを含む10インチEPのリリースに関わる。