MICHAEL DIEKMANN(G.) EX.MOONMAID&THEORIES OF EXCHANGE /LIEUTENANT70 /3LB UNIVERSE/RPOPELLER 1978年に、米国ロードアイランドの友人とムーンメイド・アンド・セオリー・オブ・エクスチェンジといったポストパンクバンドでギタリストとしてのキャリアをスタート。アイクヤード解散後マイケルは、JGバラードの『アトロシティー・イグジビション』に影響 されて結成したルテナント70で活動を始める。メンバーはシック・ピジョンのミランダ (クレプスキュール、ファクトリーのレーベルメイト) 、ギターのスー・ハネル(元スワンズ)、 ドラマーにイクエ・モリ (元 DNA)、1983年後半の事である。ハネルはすぐにバンドを脱退するが、ギター/ベースにスティーブン・ヴィテロ(元オファルス、今は現代美術系サウンドアーティスト第一人者として活躍中)が参加。その後いくつかのデモを制作するがプロデュースしたメンバーの中には、後にコーエン兄弟の映画音楽を担当するカーター・バーウェルもいた。ルテナント70は、CBGBやピラミッドクラブ等で精力的にライブ活動を行う。 1983年マイケルは、より電子音楽的なプロジェクト、オーシャンズ・イレブンや 様々なプロジェクトの共同プロデュースをステュワートに依頼する。1987年、マイケルとシモカワは、ギター/ベースのスティーブン・ヴィテロ、ボーカリストのリディア・カバナ(彼女は、ゴールデン・パロミノスやモビーなどとも共演)とスリーパウンド・ユニバースを結成。同年後半には、デビット・スパークス (ビースティー・ボーイズ PV 「You Got To Fight」にも出演)のドラムス参加に伴い、グリープ名をプロペラに変名。1989年よりNYCやニュージャージーでライブ活動を行うと共に、『フォーミング・エジソン』というコンピとMTVの人気番組『120 ミニッツ』の為に「ボックス・カイト」という曲のレコーディングとビデオ制作を行う。と同時にセルフ・プロデュースにて「グランド・ブレイク」「ディッグ・ユアセルフ・アップ」を収録した7インチEPをリリースしカレッジラジオで大きな話題となる。1991年には、マイケルのホームスタジオにてボーカリストのトレイシー・レイポールドとの音源も録音される。彼らは、ニッティング・ファクトリーやCBGBギャラリーでライブを行いスティーブン・ヴィテロ、バスーン奏者のクレールとドラマーのトム・バークハードが参加する。
by de-lic
| 2005-02-09 15:08
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